Marcel Conche (1922-2022)
Philosophe et métaphysicien français
現代フランスを代表する哲学者マルセル・コンシュは、わたしが科学者であった最後の時期に当たる2006年に、フランス語で語りかけてきた初めての哲学者として目の前に現れました。その時の第一印象は、問題を自分に引きつけて、ゆっくり、深く、論理的に考えているというものでした。それ以来、折に触れてその哲学を読むことはありましたが、本格的に取り組む時間をなかなか作ることができませんでした。最初の遭遇からすでに18年が経過していることと、日本ではほとんど読まれていない哲学者であることが見えてきたこともあり、これまでに綴ったものをまとめ、新しい試みを発信する場としてこのページを設けることにいたしました。よろしくお願いいたします。
(2025.1.28)
◉ マルセル・コンシュのインタビュー(Philosophie Magazine, 2006)
ブログ「フランスに揺られながら」より(2006年9月)
エッセイシリーズ「パリから見えるこの世界」より
医学のあゆみ 263: 211-215, 2017
ブログ「二つの文化の間から」より(2021~2022年)
◉ 刻印を残した二人の哲学者: ピエール・アドーとマルセル・コンシュ
矢倉英隆『免疫学者のパリ心景――新しい「知のエティック」を求めて』
(医歯薬出版、2022)p. 24-33
第12回サイファイフォーラムFPSSで発表(2024年11月9日)
◉ マルセル・コンシュの『形而上学』を訳す(2024年11月~2025年10月)
◉ 第11回ベルクソンカフェ(2025年3月4日)
マルセル・コンシュの哲学――2006年のインタビュー記事を読む――
◉ 第12回ベルクソンカフェ(2025年11月5日)
マルセル・コンシュの哲学(2)『形而上学』「まえがき」と「プロローグ」を読む
◉ フランス語を読み哲学するベルクソンカフェのあゆみをまとめた『生き方としての哲学:より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディと考える』(ISHE出版)を今月刊行する予定です。その第2章において、マルセル・コンシュの形而上学を論じております(p. 50~79)。
これはわたしの知る限り、コンシュに関する本邦初の本格的な論考になるのではないかと思います(上記のように、コンシュについて触れたエセーはいくつかありますが)。この中に、現時点におけるコンシュ評がありますので、以下に引用いたします(p. 64-66)。
コンシュには声を荒らげたり、派手に訴えかけたりするようなところは全くない。静謐な空気のなかでしっかりと地に足をつけ、思考がどこかに逃げていかないようにすることだけに全神経を集中している、そんな風情がある。したがって、読む側も同じように静かな内的空間を準備し、厳密に思考するという心構えがないとコンシュの世界にはついていけないかもしれない。わたしが科学者のままであろうとしていたなら、全く反応しなかったであろう哲学者である。このように自らに誠実で根源的であろうとする抑制された思考にそれまで出会ったことがなかった。その静けさと誠実さに深いところで打たれ、それまで自分のなかにはなかったものが入ってきたという明確な刻印を残すことになった。その過程で、個別の知識ではなく、思考するとはどういうことなのかについて学んでいたことに気づいたのである。アドーに肖って「読む」ということを考えるとすれば、著者の思考過程(Gedankengang)を精確に、厳密になぞりながら追体験し、そこに論理のつながりの乱れがないかを確認する誠実な作業である、そう言いたくなるようなコンシュ体験であった。振り返ってみれば、そのことを教えてくれる哲学者は他にいたのかもしれない。しかし、わたしにとって、それはコンシュだったのである。そこに、偶然のなかに現れた必然を見ることができる。
お手に取ってお読みいただければ幸いです。
(2025.11.5)

