28.1.14

『免疫の形而上学』




2020.11.30 (lundi)

本日、一つの章の最初のバージョンを書き終えることができた。より正確には、これから推敲を重ねることを前提に、取り敢えず終わりとすることにした。書きようによっては際限がなくなるので、後でバランスを取ることにしたとも言えるだろう。これで次の章に向き合うことができそうである。


2020.11.23 (lundi)

再びフルタイムでこのプロジェに当たることができるようになって10日ほど経った。現在、一つの章を纏めようとしているが、今週中には終えることができるのではないかという感触を得ている。

今回初めて、これまでの流れを読み直してみた。2018年から意識してこのプロジェに当たっていたのだが、翻訳とか他のプロジェの合間を縫っての作業だったようだ。2年が経過したことになるが、終わったと感じる時、自分の体に馴染んだと感じる時がプロジェ完了時と考えていたので数字は特に気にならない。まだ数章残っているので、3年越しのプロジェになりそうである。


2020.11.15 (dimanche)

免疫の形而上学化を行った成果をエッセイとして公表することができた。これは長い思索の結果生まれ出たもので、わたしにとっては貴重なものである。最初の本格的な試みであり、これからの歩みの根本に居座りそうだからだ。

このエッセイでは、最初に「科学の形而上学化」を改めて定義している。第1段階では、ある現象について科学が明らかにしたことを集め、そこから最少あるいは基本的な特徴を抽出する。第2段階では、それらの特徴から考えられる哲学的・形而上学的な概念を探し、そこから再び科学の成果を考え直す。つまり、科学的論理と形而上学的省察を組み合わせることで、これは科学と哲学のあるべき関係についてのわたしなりの回答として捉えることができる。さらに、このような思考が科学の領域に限らず、あらゆる「もの・こと」を考える際に有効になることを考慮に入れ、第3段階として、この思考の重要性を科学や哲学を超えて広く伝えることを加えた。そのやり方には各自の工夫や創造性が求められるだろう。

その上でスピノザとカンギレムの哲学を参照しながら、免疫を考え直したものである。ご批判をいただければ幸いである。

Yakura, H. Immunity in light of Spinoza and Canguilhem. Philosophies 5: 38, 2020


2020.9.23 (mercredi)

1年近くもこの場を訪れていなかったことに驚いている。このプロジェは時間を切ってやるべきものではないと決めた段階で、ゆっくり進めることが規則になったようである。ということで、この間、これまでに書いたものについて外科手術をやっていた。そのお陰で、少しすっきりしてきたようである。また、論文を書くという作業も行ってきた。最近、その中の一つである植物免疫についての論文が発表された。この論文は科学の雑誌に掲載されたが、その中に「哲学的省察」というセクションを設け、「科学の形而上学化」を実践したものである。ささやかなものだが、わたしにとっては最初の試みになる。お目通しいただき、ご批判をいただければ幸いである。

Yakura, H. Cognitive and memory functions in plant immunity. Vaccines 8:541, 2020

 

2019.11.21 (jeudi)

この場に久しぶりに戻ってきた。前回から2か月経っているが、それほど進んでいない。すでに書いた章に新たに加えたらどうかということを思い付き、それについて調べていると自分が研究を始めた当時の状況が浮かび上がってきた。現代免疫学がまさに立ち上がろうとする時期である。当時は大学に免疫学を名乗る講座はなく、微生物学や病理学、内科学や小児科学の中でやられていた。非常に若い学問であることが分かる。と当時に、当時は想像もできなかったような発展を遂げたことに驚くのである。現代免疫学の黎明期の出来事をじっくり追っていると時間が経つのを忘れると言うか、時間が経ってしまう。書くことで過去の事実を洗い直し、自分の中で秩序立てる作業をしていることになるので、急ぐことはないだろう。前回書いたようなタイムテーブルを想像することも意味はないだろう。以前にも触れたような気がするが、終わったと感じる時が終わりになりそうな気配である。



2019.9.24 (lundi)

この間、主に最終章に当たりながら、他の章に関係するアイディアが浮かんだ時にはその部に手を加えるというようなことをやっていた。まだ最終章もまとまっていないが、今月末には最初の塊を作っておきたい。このペースで行くと、年末までに残りの章を終え、ファーストバージョンができればよい方だろうか。もしそれができれば、年が明けてから最終版に向けて校正するという予定になるだろう。前回の予想よりワンシーズンずれ込んでいるようである。



2019.7.8 (lundi)

今後の大雑把な予定を思い描いてみた。まず、今回のフランス滞在中に古い資料に再び当たり、できるだけ全体が見えるところまで持っていきたい。その上で、日本に戻ってからそれをリファインして最終的な形に仕上げるという方向性で進めるというのはどうだろうか。いずれにしても計画通り進むことはあり得ないので、調整しながら進むしかないだろう。



2019.5.23 (jeudi)

その後、余り真面目に(規則正しく)はできいないようだ。それは性であるので致し方ない。これまでの様子を見ながら、これからどのようなことになるのか想像できるようになってきた。それは、わたしがエッセイを書く時と同じようになるのではないかということである。最初から細かい図を描いた上で進めるのではなく、ぼんやりと思い描いていたテーマに関連したことを随時書いていき、最後の数日あるいは1日でそれらを一つの纏まりにする。と言うよりも、それまでに溜まった断片が自ずから纏まりを見せてくるという感覚に近いだろう。今回の試みも最初は順番に書いていこうとして始めたが、これからはその時々に湧いてくるテーマについて順番は問わずに書き進めることになりそうである。そして、それらが全体として一つの塊となったと感じた時、終えることになるだろう。その時がいつ訪れるのか、今は予想できない。しかし、それはエッセイの場合のように、熟すれば一瞬のうちに来るのではないかと想像している。それまでは長い旅が続くことになるだろう。



2019.3.18 (lundi)

これまで一章を読みながら書き直していたが、本日そのファーストバージョンを終えることができた。これについて全体の流れを見ながらさらに読み直し、今週中にはしばらく寝かせるバージョンを完成させたい。



2019.3.1 (vendredi)

昨年書いた序論を読み、その後寝かせておいたものを改めて読み直していたが、一段落した。これをファーストバージョンとして、また寝かせることになる。それから一応書き終えた第一章についてもこれから読み直し、検討することになる。今月中に終わらせることができればと考えている。



2019.1.22 (mardi)

先週送ったわたしのコメントを読み、掲載することにしたとの連絡が入った。これで一段落と言いたいところだが、このやり取りの中で一つの考えが浮かんできた。まだ明確な形にはなっていないが、折に触れて考えていくことになりそうである。



2019.1.19 (samedi)

年末から年始にかけて興味深い動きがあった。認識という現象を構成する最小のユニットは何なのかという問題について昨年論文を書き、受理された(Yakura, H. A hypothesis: CRISPR-Cas as a minimal cognitive system. Adaptive Behavior. First published online: December 29, 2018)。ここで述べている内容については、一昨年の東京理科大での講演とサイファイ・カフェSHE、昨年のサイファイ・カフェSHE札幌、そして今年1月11日のパリカフェで取り上げている。それを専門家がどう見るのかを確かめるために書いた論文だったので、そこに意義を認める人がいることを知ることができたのは幸いであった。

さらに先週その雑誌から、わたしの論文についてコメントを載せることにしたので、そのコメントに対するコメントがあればそれも掲載したいとの知らせが届いた。思わぬ展開に驚いたが、このような形で議論が展開するのは自分自身の思索を深める上でもよいことなので、どのように反応するのかを今週考えていた。そして一応一つの塊にすることができたので昨日送ったところである。最終的にどのような判断が下されるのかは分からないが、このような作業の過程でこの問題に対する見方がより明確になってきたと感じている。




2019.1.6 (dimanche)

新しい年が明けた。この休みで一つの章を一応終えることができた。原稿用紙で約120枚というところだ。次に進む前に、このスケッチについて瞑想する作業をやっておくことにした。前の投稿にもあるように、ひと月かけて新鮮なうちに再検討しておくのがよいと考えたからである。



2018.12.31 (lundi)

今年の最後を迎えたので、これまでのところを纏めておきたい。現在、本論の一つの章として考えているところに当たっているが、最後までには至らなかった。まだ最初のスケッチにしか過ぎないが、400字詰めの原稿用紙で100枚ほどを終えたところである。新年の1月が終わる頃には、この章のファースト・バージョンと言えるものを纏めることができればよいのだが、。他のプロジェとのバランスもあるので、どうなるのかはその時にならなければ分からない。



2018.12.17 (lundi)

前回の投稿から先週まで翻訳の見直しに追われ、このプロジェクトに手を付けられなかったが、今日から2週間ほどは自由に時間を使うことができそうである。この間にどのようなことができるのかはこれからの指標になると思われるので、じっくり様子を見ることにしたい。



2018.11.30 (vendredi)

日本での活動が始まってからはここに戻る余裕はなかった。先週フランスに戻り、今週月曜から毎日数時間だが集中できるようになってきた。これを続けることができれば、少しは前に進んでいるような気になってくるのではないだろうか。



2018.10.18 (jeudi)

予想より早く、原稿の読み直しを昨日終えた。本論部分についても考えながらと思ったが、その暇もないうちに終わってしまった。これからこのプロジェを中心に据えたいのだが、実際には他のプロジェの間を縫って進めることになるのではないか。そんな気がしている。



2018.10.16 (mardi)

大学での講義を先週終え、日本での生活にも少し馴染んできたところで、これまでに書いたものを読み直してみたい気分になってきた。このテーマについて考えるようになった経緯を書いた部分と、この研究に当たっての精神の在り方、さらに言えばこれからの知の在り方についてわたしの中で熟成してきたいくつかの考えをまとめた序論的な部分である。まだスケッチの段階だが、ゆっくり吟味しながらこれから先の本論に当たる部分についても省察したいものである。原稿用紙80枚程度なので、今週中には読み終えることができるのではないだろうか。



2018.10.13 (samedi)

9月から日本だが、このプロジェにはなかなか手が付かない。大学の講義やカフェの準備などがあるためかもしれないが、日本の空気の中に形而上学に向かうことを抑制する何かがあるのかもしれない。フランスに在っては消える、わたしにとっての現実が目の前に広がり、それが邪魔しているのだろうか。今回の滞在では、実際に手を下すのではなく、アイディアを温め、できれば膨らますことができるようにしたい。



2018.9.8 (samedi)

一つの主要なプロジェとして、「免疫をどのように見るのか」という問いに向き合うことを掲げている。免疫という現象について自分なりの考えをまとめようとするものである。「免疫を哲学する」あるいは少し専門的には「免疫の形而上学」と表現してもよいだろう。プロジェというと数値目標があるという思い込みから解放され、期限を区切るのではなく、これで終わりにしようとした時がプロジェの完成と考えることにした。その過程で頭に浮かんだことを書き留めておく場を設けることにした。