フランス生活が9年目に入った2016年、日本でその中にあった日常生活と職業生活とが欠如した新しい意識の中で生活していたことに気づいた。仮に、日常生活で使われる意識を「意識の第一層」、専門性が付いて回る職業生活に関わる意識を「意識の第二層」とすれば、この二つがない状態で働く意識を「意識の第三層」と呼ぶことができるのではないかと考えた(下図参照)。
そのお蔭で、それまでよく理解できなかった多くの「ものこと」の意味を掴めるようになってきた。実はフランスに渡る前、これから求める生活を「全的生活」と名づけていた。それは日常生活と職業生活のない生活だったのだが、そこで使われるのがこの「意識の第三層」と名付けた領域だったのである。この層の開拓と充実は「科学の形而上学化」(MOS)にとって不可欠であり、現代社会の多くの問題の根底には第三層の衰退ないし欠落があることが見えてきたのである。この視点から見ると、意識の第三層の開拓と充実こそ、サイファイ研究所ISHEの目指すところであるとも言えるだろう。意識の三層構造については、拙エッセイ「『意識の第三層』、あるいはパスカルの『気晴らし』」(医学のあゆみ 258: 185-189, 2016)を参照していただければ幸いである。
ところで、昨年11月の第12回サイファイフォーラムFPSSの議論の中で、幸福とは何を言うのかという疑問が出された。その後、折に触れてそのことが頭をよぎった。幸福とは人によってその意味するところが違うのではないか。この言葉を発している多くの人も、何のことを言っているのか説明できないのではないかなど、いろいろな疑問が浮かぶ中、12月に入り、この問題と意識の三層構造とを関連づけて考えると、幸福の多様性、多義性がより明確になることが見えてきた。つまり、それぞれの意識の層に応じた幸福があるのではないかということである。もちろん、これでこの問題が解決するほど問題は単純ではないが、一つの視座を提供することになると考えている。以下、簡単に説明したい(下図参照)。
第1層の幸福と呼ぶものは、日常生活の中で感じる漠然とした(言葉で表現するのが難しい)感覚で、しばしばその人に「しあわせ!」という言葉で表現させることになるものである。これは感情や本能に依存するもので、瞬間的にしか感じることができない。
第2層の幸福は、職業生活の中で生まれるもので、仕事における達成や表彰などがもたらすことが多いが、これも必ずしも長期間持続しない。
第3層の幸福は、全的生活において開拓される意識が要求するもので、日常生活や職業生活から離れた人間存在の奥底から湧いてくる存在全体を包むような充足感や心の平安で、永続性が保証される。
仮にこのように定義すると、幸福においても第三層にあるものを求めるのが理に適っていると言えるだろう。つまり、幸福の追求においても、サイファイ研究所ISHEの求めるものが有効であることを示唆している。
矢倉英隆
2025年1月1日