13.9.13

6-SHE 「腸内細菌」



第6回 サイファイカフェ SHE
 
The Sixth Sci-Phi Cafe SHE (Science & Human Existence)

以下の要領で開催いたします。 

案内PDF
 
テーマ: 「腸内細菌を哲学する」

日時: 2013年9月10日(火)、11日(水) 18:20~20:00

(両日とも同じ内容です)

定員: 約15名 


会場: カルフール C会議室
Carrefour
  
東京都渋谷区恵比寿4-6-1 恵比寿MFビルB1
電話: 03-3445-5223 



この世界を理解するために、人類は古くから神話、宗教、日常の常識などを用いてきました。しかし、それとは一線を画す方法として科学を編み出しました。この試みでは、長い歴史を持つ科学の中で人類が何を考え、何を行ってきたのかについて、毎回一つのテーマに絞り、振り返ります。そこでは、目に見える科学の成果だけではなく、その背後にどのような歴史や哲学があるのかという点に注目し、新しい視点を模索します。このような営みを積み上げることにより、最終的に人間という存在の理解に繋がることを目指すスパンの長い歩みをイメージしています。

今回は、われわれと共に存在し、進化の過程を共にしてきた微生物について考えます。最近の研究から、われわれの体内にある細胞の10倍の数に及ぶ微生物は、消化・吸収、代謝、免疫のみならず精神活動などの生理機能に不可欠な役割を担っていることが明らかにされつつあります。これらの結果は、われわれは閉じた 自律的存在ではなく、外に開かれたエコシステムであることを示唆しています。「彼ら」の存在は、「われわれ人間」、「生物学的個体」、「オーガニズム」な どの意味するところを改めて問い掛けてきます。これらの問題を考え始めるための枠組みについて講師が30分ほど話した後、約1時間に亘って意見交換していただき、懇親会においても継続する予定です。

参加を希望される方は、希望日と懇親会参加の有無を添えてshe.yakura@gmail.comまでお知らせいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。


(2013年6月22日) 

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第6回SHEのまとめ

今回使用したスライド(イントロ)
講師の発表内容

今回もお忙しい中参加していただいた皆様に感謝いたします。実り多き会であったことを願っております。これからもSHEの趣旨をご理解いただき、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
今回のテーマは「腸内細菌を哲学する」としました。このテーマを選んだ理由は明らかではありません。「細菌」と「哲学」という一見すると結び付きがないように見える言葉を組み合わせましたが、哲学の側から見ると意外性はないのではないかと思います。少なくともわたしの中にある「哲学」から見ると、ごく当たり前の営みにしか過ぎません。わたしの「哲学」は身の回りにあるものすべてが哲学の対象になり、対象そのものについて上から、下から、周りから見直し振り返ることだからです。そのために求められるのが「考える」という作業になりますが、考えるためには時間(暇)が必要になることを今回も改めて感じました。残念ながら、今回のテーマについて十分に考えを深めることができなかったと感じています。今回問題にした哲学的テーマの中からさらに絞り込み、将来再び取り上げることを考えてもよいかもしれません。
今回もイントロとして哲学についての一般的なお話をしました。わたしが哲学に入って以来感じていた哲学のやり方の大きな二つの流れについて、最近出た本を題材にして概説しました。その流れとは、アングロ・サクソンから生まれた分析哲学とドイツやフランスなどの思索を特徴付けている大陸哲学になります。今では地理的な意味合いではなく、問いに対する向き合い方のスタイルの違いについて指す言葉になっています。それぞれの特徴を読みながら感じていたのは、あくまでも答えを求めることに執着し、科学的であろうとする分析哲学的なアプローチも重要ですが、哲学発祥からある答えよりは問い掛けにより本質に迫ろうとする 哲学が内包している思考には捨てがたいものがあるということです。もし哲学が後者のアプローチを捨てるとすれば、最早哲学に特徴的なものはなくなり、哲学自体が衰退するのではないか。そんな印象を現時点では持っています。 
わたしのやり方は、まず自分の感覚器を全開にして外の世界から感じ取ったことを大切にします。その後で他の人の感じ方、考え方に触れるというものです。時間に追われている人は、最初に勉強して一つの枠組みを頭に入れてから世界に触れるというやり方になりがちです。その場合、「もの・こと」を素早く理解したような気持ちになりますが、枠組みのために本来そこにあるものを見落としている可能性が出てきます。それから自分の体験とは離れた頭の中だけの営みになるのではないかと思われます。時間はかかるかもしれませんが、まず自らをこの世界に晒すことから始めるやり方により、さらに言えば、このやり方によってのみ、生きていることと直接繋がる何かを捉えることができるのではないかと考えるようになっています。 
スライドはこれまでは終了後にお送りしていました。それは、わたしが会の直前まで手を加えているためです。しかし、参加者の理解を深めるためには、たとえ不完全であっても事前に配布した方がよいという考え方も成り立ちます。最終版はこれまで通り終了後に配布することにして。次回以降、検討したいと思います。
今回新たに参加された方は、全体の25%でした。その中には、立花浩司氏が「高校生からの哲学雑誌 『哲楽』」 に提供された情報を見て参加された方、岡山や神戸から参加された方がおられました。また連日参加された方も複数になり、主宰者にとっては嬉しい出来事でし た。これからもリピーターだけではなく、初めて参加される方が続く会であることを願うばかりです。SHEの門はいつもどなたにも開いております。興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。


参加者から届いたコメント

● 本日は第6回サイファイ・カフェSHEに参加させたいただき、誠にありがとうございました。ディスカッションでは免疫系に関連する話題が多く語られましたが、皆さんのお話がトリガーとなって、私の前頭葉は一段とメタな思考に飛んでしまいました。散会後も、矢倉さんが最後のスライドで提示された問題を超えて、思考が暴走しております。たとえば、(1)健康を求めるという医学のテーゼは正しいのか、(2)人間にとって「適切(ex: 動的なバランスの取れた状態≒健康」とは何か、(3)その状態を保つこと=「幸せ」なのかetc....。 どの問いも、デカルトが方法序説で説いた明晰な方法論には合致するのでしょうが、果たしてそれは人間の幸福につながるのか?(この方法論に基づく科学技術文明が人類の存続を脅かしていることは明らかなのに。) では、(4)我々は人間中心主義(ヒューマニズム)から抜け出せるのか。それに代わる「哲学のパラダイム」はありうるのか……。突き詰めて行くと、矢倉さんが紹介してくださったモンテーニュのように、Que Sais Jeを問い続け、その過程で生まれる新しい問いを、自分の体験に基づく言葉で語ることしか、(進歩ではなく)異なる思想に到達する方法はないように思えま した。  
こ こに至って、私は、「これは〇〇デアル」、または、「ここに〇〇ガアル」という形で命題を示すことが分析哲学の限界なのではないかという気がしてきました。逆に、「これは何(どういうこと)なのか?」という疑問=問題を提示することが、(答えを示すことより)本質に迫る思考方法として有効であるように思えます(すでにそういうことを言っている人もいるようですから、その請け売りにすぎませんが)。ついだらだらと書いてしまいましたが、次回もぜひ参加させていただきたいと思っております。最後に、大陸哲学の入門書として良さそうな日本語の本があればご教示願えれば幸いです。
● 昨日は有り難うございました。最先端の未知の分野の話題は門外漢の私にもとても、興味がそそられるものでした。ひとつ気づいたことがあります。優れた発言者 の日本語が正確で論理にかなっていたということです。ともすれば言葉をぞんざいに扱いがちな本物ではない学者が多々見受けられるのですが。だからこそアマ チュアでも昨晩はひきつけられたのでしょうか。次回を楽しみにしています。 
● 昨日は二次会だけの参加となりましたが、楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。ジュール・ホフマンのノーベル講演では、TLR、NFkBとかいろいろ登場しましたが、結局多細胞生物はみんな同じ免疫系で動いているといった結論と受け取ったことと、なんだかダブって読めました。非常に興味深いです。
● 昨晩もありがとうございました。前半のオーバービューはもちろん、腸内細菌ご専門の方がいらっしゃったこともあって、たいへん楽しく、知的興味をそそるディスカッションでした。腸内細菌の科学知から、哲学的話題へとどうつなげて考えていけばいいのか…本日も楽しみにしております。
● 昨夜のスライドをお送りくださり誠にありがとうございます。昨夜のテーマにつきましては、腸管免疫・食物アレルギーの研究を始めている教室員がいることもあり、哲学する(俯瞰して考える)余裕がありませんでした。また、質問させていただきました「分析哲学 vs 大陸哲学」のネーミングは大変面白く感じられ、もちろん私の担当科目ではありませんが学生さん達への出題ネタに使えるかも、と思った次第です。次回も楽し みにしております。
● 二日間にわたる「第6回 SHE 2013.9」お疲れ様でした。夕方になって、Facebookの私の「アクティビティ」欄に昨日の「SHE」の記事が載っていることを、社会人オケの知 人の建築家が押した「いいね」ボタンで知り、二度びっくりでした(どういう仕組みでそうなっているのか、まるっきり理解できておりません(苦笑))。
● 今回のスライドは、ある意味で、衝撃的でした。遺伝子レベルでは、人間の遺伝子の99%以上が、微生物由来という生物学の知見は、Artur Rimbaud(1854-1891)の言葉「Je est un autre」(わたしは一人の他者である)を思い出させます。自分の中に99%以上の他者がいる。  Cioran(1911-1995)は北斎を論じたエッセイの中で、「自己同一性という感情があるから、個性という奇妙な幻想が生じる」と述べています。このときの個性は、個人と言い換えてもいいもので、自己同一性の感情を「個人」の根拠にしています。生物学の知見は、この自己同一性の感情に揺さぶりをか けますね、わたしとは何のか。無矛盾の自律した統一体としての「わたし」あるいは「個人」、というものが、幻想であることを示唆しています。
自己同一の感情の起源を問題にしたとき、他者の存在や、差別などの社会的な圧力、あるいは集団といった社会的存在が、個人に先行するから、とは言えると思い ます。自己同一性あるいは個人は「社会関係の先行性」に依存している。この意味では、社会関係から抽象された個人から認識をスタートするカント主義の主観・客観図式や、個人を前提する私的所有など、近代社会の大前提は、ことごとく、怪しいものだと疑うことができます。社会関係から思考をスタートさせる Wissenschaftが、待たれるところです。この点で、前回テーマ化された複雑系の議論ともリンクしてくるのではないでしょうか。
ぼくが、今回感じたのは、生物学と物理学の違いで、生物学は要素還元主義に必ずしも集約されない。そして、個人の唯一性を、微生物相の個体変化によって、認めているということで、「個人化」の功罪の功の部分を継承しているという印象です。そして、同時に、個体をネットワークとして考える柔軟性があることです。「個人」としてたんに固定すると、代替可能、計量可能、商品化といった操作の規定を受けますが、個人は唯一であり、かつ、ネットワーク(つまり関係性 の中に存在する)であるという思想を持つことで、社会構成原理からの操作性を免れることができるのではないかと思いました。スライドの準備等、お疲れさまでした。またの「来日」をお待ちしております。
● 昨夜は、大変有意義な時間と、学びを頂き本当にありがとうございました。腸内を哲学とはどういうことかな?興味深々だったのですが、哲学的視点から医学的に 人間の体内に入り込むような、人間一人の細胞の数と腸内細菌の数の対比には大変驚きました。日ごろは知ってはいても、細菌と共生し合って自分の体は生きているのだとは 考えることもなかったのですが、ふっと、そんな所に視点を移すと、ミクロな世界とマクロな世界も案外共通しているものだなぁと感じた次第です。
リン・マーギュリスについては、何で読んだんだったかしら?と思っていたのですが、「眠れなくなる進化論の話」という以前ブログで紹介したこともある本でした。それにしても、科学も哲学も何と面白いものだろうと、昨日は久々に錆びついていたわたしの脳が活性化した日でした。最近、科学については少し距離を置 きたい気分でしたが、哲学と科学は一体となって、常に、人間の未来をカタチ創る進化そのものであるなぁと感じます。では、日本の滞在が素敵なものでありますよう~♪ スライドと写真をありがとうございました~♪ 大変素敵な夜でした。感謝致します。
● 早速、スライドを送付していただき、ありがとうございます。私はこれまで、何人かの哲学者の先生とのゼミを経験していましたが、題材(今回で言えば、腸内細菌)から自分達の世界を照らし合わせて、考えるといった形式がほとんどでした。参加者によるのでしょうが、今回のように免疫の専門的な話に拡がることは初めてだったので、驚きました。ある意味では、全く科学と関係のない方の方が、論理が通っているだろうかといった、自分の考えに恐れを持つ必要がないから話しやすいのかな…。 という感想を持ちました。明日は医学部にいらっしゃるそうですが、気をつけていらしてください。
● 早々とサイファイ・カフェSHEのスライドを送っていただき、ありがとうございました。今週はほんとうに充実の一週間ですね。今回のテーマは、腸内細菌を科学するというテーマでしたので、単語レベルでさえなじみの無いものが多く、恥ずかしながら「え、寛容って他に違う意味があるのかな」と、理解するので精一杯ではありました。でもこの緊張感・アウェイ感がまた良かったりもします。そのなかで、社会哲学を専門にされている方の発言で、「細菌を哲学すると、近代以降のアイデンティティの前提・構図がくずれてくる」という発言がとても興味深く、もう少し人間存在の議論も深まるとよかったです。もしかして、その後の懇 親会で議論したのかもしれませんが・・・。やはり、講義だけで帰ってはいけませんね。次回は全部参加します! 
講義の理解、議論への参加と関連するのですが、スライドを事前に送付していただくということがもし可能でしたら、ご検討くださるとうれしいです。帰国するたびに矢倉先生の忙しさが増しているようにお見受けするのですが、このサイファイ・カフェは、ほんとうに所属、専門から自由な市民講座であり続けてほしいです。ひょっとしたら国境も越えてしまうのでは、と夢想もしてます!次回をまた楽しみにしております。
● とても面白い時間をありがとうございました。当方は工学系出身のメーカーの開発者という異端児でしたが、難しい内容をわかり易く講演していただき、とても充 実した時間を過ごすことができました。飲み会のほうも皆さんとざっくばらんにお話しすることができて、ぼけてきた頭に多少なりとも刺激が加わりました。少し先走り過ぎかもしれませんが、獲得形質が腸内細菌によるもの(??)という概念と、競争と共生は多分同じ意味、いずれも遺伝子を効率的に未来につなぐというドーキンスのわがまま遺伝子の概念でぴったりくくれ、自分の中できれいに因数分解が解けたような思いです(きっと専門家の方はそうは簡単に行かないとおっしゃりそうですが)。また、矢倉先生のニュートラルで誠実なお人柄にも感銘を受けました(大学の先生としては希少価値?)。素人の話に耳を傾けてくだ さり、ありがとうございました。又機会がありましたらぜひ参加をしたいと思います。今後ともによろしくお願いいたします。
● 初めまして、哲楽編集人の田中と申します。小誌のFacebookでのご案内が、貴会SHEにわずかながらお役に立てたと知り、大変光栄です。今回、私自身も伺いたいと思っていたのですが、残念ながら仕事の都合でかなわ ず、報告文を拝見させて頂きました。腸内細菌の話は、小誌が主催した西千葉の哲学カフェでも出ましたし、最近は脳腸相関という話がテレビでも放送されたりしまして、腸の研究は、日本でもとても注目されています。そうした日本の状況もありますので、貴会SHEのご活動には大変注目させて頂いております。今回のご報告のページについても小誌Facebookでご紹介させて頂きました。哲学広報につきましては、稼業の合間にほぼ一人で展開している活動で細々と続けておりますが、何らかの形でお力添えできればと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
● 第6回カフェありがとうございました。なかなかじっくり考える時間がとれず、考えずに感想を送るのは最も良くないことだと思い、ここまで時間が経ってしまいました。質疑応答で触れましたが、トポロジーから論理的に考えれば、腸内細菌の存在する腸管腔は、「わたし」の外です。 しかし、ほとんどのヒトは腸管腔を「わたし」の一部と認識している。すなわち、口の中から肛門までのスペースは外でありながら自分の一部と見なされている。腸内細菌はそのようなスペースにいて、かつ「わたし」は腸内細菌なしでは通常の生物活動に困難を来たし、腸内細菌も培養不能菌の存在から、「わたし」 なしでは生存できないという双利共生の状態にある。「わたし」の免疫、代謝、精神活動に影響を及ぼしうるし、「わたし」の行動(食事、運動)が腸内細菌に 影響を及ぼすということは、上部階層(系の外部)から観れば、普段の見なしと同様、「わたし」と腸内細菌が同一の生命圏に存在し、不可分であるといえる。
腸内細菌は代替わりするが、「わたし」は変わらないのでは、という疑問に対しては、腸上皮細胞は数時間で入れ替わり、その「寿命」は細菌と変わりない、と返答できる。腸上皮が「わたし」ではないのであれば、何が不変の「わたし」なのか。脳の神経細胞もわたしの存在と同義ではなく、「わたし」を要素に分解することはできない。(「わたし」の実在を否定しているのではない)弁証法的な、入れ替わる細胞ではなく、関係性の維持が実体とするならば、腸内細菌も自己の 一部と考えても何の問題もない。
(人間の認識のもと)生物として生きるということを考察すると、自己と非自己の境界がどんどん曖昧になる、そう考えざるを得ない、という気付きが生まれる。分析すればする程「自己」の実体は物理的な肉体の一部分にはなく、相互依存的関係性に依って存在するかのごとくみえてくる。 逆に生物のシステムを相互関係性(交換、影響)から考えると、「自己」の範囲は腸内細菌ー他の生物ー環境(水圏、気圏)と広がっていく。これはまさに、中観仏教での根本思想である「諸法無我 色即是空」を具体例に沿って説明している。(空は無や非有ではなく、存在と非存在を峻別することはできないの意) 仏教とは、宗教の側面もあるが、人間として生きる、もしくは、人間にとって命とはなにか、という問に対する答えの体系である。これが今回参加させていただ いた上での私の気付きでした。
この会も軌道に乗った感はありますが、「科学的事実」なるものに牽引されて、哲学するという部分が少なくなってはいないか。それの原因の一部が私の様々な発言である気がして、そこは猛省している次第です。次回、機会があれば、そのような発言を慎んで、思索を巡らせることを主眼とさせていただければと思います。重ね重ね会のorganizeありがとうございました。
 

フォトギャラリー

 2013年9月10日(火)










2013年9月11日(水)

本日は、カルフールでの撮影を完全に失念

前回も2日目に同じミスを犯している

完璧な運営は難しそうです








(2013年9月13日)