近著『生き方としての哲学:より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』(ISHE出版、2025)において、これまでの人生を総括したところがある(113–114ページ)。以下に引用したい。
人生をある程度歩んでくると、これまでを振り返る機会が増えてくる。その結果、最近のことであるが、わたしの人生の大きな枠組みが浮かびあがってきた。これはわたし個人のものなので、特別ではあるが普遍性はないかもしれない。大雑把に言えば、次のようになる。
それは、およそ20年単位で人生のフェーズが変わったということである。最初の20年は、人生を歩み始める準備段階で、多くの時間が教育に充てられた。これを第1期とする。次の20年は、専門職として生きていくためのトレーニング期間とも言えるもので、わたしの場合、大学の学部教育から大学院教育を受けた後、アメリカの研究機関での研究生活などに充てられた。これが第2期である。そして第3期となる次の20年が、実際に独立した専門職として仕事をする期間であった。人によっては、この期間を延長することもあるようだが、わたしの場合、数年間の模索の結果、それまでの歩みを振り返るための全的観想生活に充てる第4期に入ることにした。ここで「全的」としたのは、上述のように、専門領域を離れて、人間として考えるべき問題について広く考えるという意味合いであった。
この第4期をもう少し詳しく見ると、最初の10年は思索生活のための準備期間だったように見える。パリ大学のマスターコースとドクターコースで哲学の教育を受けた後、トゥール大学で招聘研究員をしながら思索のスタイルを模索していた。それから現在に至る8年は、それまでの蓄積を解きほぐし、思想の塊としてまとめるという作業に充てられており、本書もその一環として捉えることができるだろう。これらの過程はあらかじめ計画されたものではなく、振り返ればそういうことであったというだけである。コンシュの表現を借りれば、自然がそうであるように、芸術家あるいは詩人のように歩んできた結果がそうだったということになる。
この分析によると、現在は第4期の後半に在るということになる。この見方を若干修正してもよいのではないかという考えが浮かんだ。それは次のようなことである。第4期前半の10年を、科学者におけるトレーニング期とした第2期に相当するものとして独立させてもよいのではないかというものである。そうすると、科学者における第3期に当たる時期(全的観想生活者としての第2期、全体では第5期)の前半を今過ごしていることになる。このように考えると、今までとは違った絵が浮かび上がってくる。上の引用にもあるように、芸術家や詩人のように「いまここ」を生きることが中心にあるので、先を見越しての考えはすぐに意識下に沈むことになるだろうが、「いまここ」を支える力にはなるかもしれないと考え、メモすることにした。
(2026年5月15日)
