2.1.14

哲学は西洋の発明か?



100号目の Philomag では哲学に関するいろいろな問いが扱われている
その一つに、「哲学は西洋を発明か?」 というのがあった
古くから出されている問いになる
この問いにウィと言っているのは、以前にも取り上げたことがあるハインツ・ヴィスマンさん

ハインツ・ヴィスマンさんによる文明と文化 (2013-02-07)

否定的な答えを出しているのは、フレデリック・ネフさん
以前であればウィが圧倒的に優勢だったのではないかと思われる
実際には次のようになっていた

ヴィスマンさんの考え

哲学を思考・思想一般と考えれば、この問いには意味がない
古代ギリシャではそれまでの智慧とは異なる考え方に哲学という名を与えた
もしこのことについて言うのであれば、それは特別のものである
ニーチェによれば、ギリシャの哲学者は「すべては一」という形而上学の信条を作った
それは多様な現象から一つの原理を導き出すという義務を伴っている
この論理的拘束が特に東洋の伝統には欠けている

西洋の哲学的プロジェを特徴付けているものは、体系の整合性への野心である
西洋の哲学史を観ると、紆余曲折の後に辿り着いた一つの地点がヘーゲルの体系であった
肯定(テーゼ)から始まり、その否定(アンチテーゼ)を経て絶対的肯定(ジンテーゼ)に止揚する
彼の弁証法である

ターレスの「すべては水」から始まり、「一」の探究がダイナミックな思想に繋がった
これに対応するものは他の文化には見られない
現代科学もこの流れの中にある
いろいろなデータをより普遍的な法則の中に入れようとする試みであるからだ

この流れに抗して、ハイデッガーは哲学的というよりは詩的な側面に傾いていった
それが東洋思想(特に日本)に出会うだけではなく、ポストモダンとも関連することになった
存在の問題に向き合うと、哲学的構築あるいは科学から答えを得ることは難しいだろう
それは広い意味での文学、さらには精神分析の領域になるのかもしれない

カントは第三の道を開こうとした
判断能力に特異な省察の頼る方法である
彼は二つの判断を区別した
一つは、個別のケースの前に法則があり、それを適応すればよいとするもの
もう一つは、個別のケースに対して独自の法則を見つけ出すもの
この省察による方法が人文科学の基礎を提供することになった
そして、この省察に頼る姿勢が独断を排し体系を野心とする真の哲学的正当となっている


ネフさんの考え

西洋の哲学とアジアの哲学の本質的な違いは、三つある

その第一は、西洋には論理学の法則による推論があるが、アジアの智慧にはそれがない
しかし、二千年の間には西洋と東洋の論理が収斂することが、特にインドであった
紀元前三世紀のギリシャの懐疑派は、インドの仏教哲学者が生み出した論理的推論を用いていた
ギリシャのピュロンとインドのナーガールジュナ(龍樹)は四つの論理の働きを形式化した
その四つとは、肯定、否定、肯定と否定、肯定でも否定でもない、である
両者が影響し合ったのか、同時に独立して起こったのかについては結論が出ていない

第二は、東洋思想が救済を目指していたのに対し、西洋哲学は純粋な知の探究だった点である
同じような論理が生み出されていたとしても、その目的が違ったということになる
ピュロンは懐疑的な思想を生み出し、教条主義が失敗することを示そうとした
ナーガールジュナの方は、論理を錯覚を払いのけ、「中道」に至るために用いた
一方のギリシャの懐疑派は知と魂の平安の問題を扱った
他方、ナーガールジュナは空を求め、転生のサイクルから抜け出ることを試みた
ところで、両者の根本的な違いは、救済の探究なのだろうか?
ただ、西洋でもプロティノスからトマス・アクィナスパスカルを経てスピノザに至るまで救済がある

最後に、西洋哲学では多様性の背後にある一つの原理を見つけ出そうとする
これに対して東洋では、第一原理は一つではなく、多数あるとする
しかし、西洋哲学を「一」の探究に還元するのは真実を反映していない
例えば、プラトンは究極のイデアは一つではなく、多くの普遍があると言っている
驚くべきことに、これは仏教のダルマとも近い

もし西洋に特異的なことがあるとすれば、省察による方法と自らを歴史の中に置こうとする配慮だ
東洋では、止揚とか異議申し立てを求めるよりは連続性に組する
西洋では、伝統は否定的に捉えられ、東洋では肯定的に捉えられている


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両者の間には確かに差はある
しかし、以前のような白黒の違いというよりはニュアンスのある差として捉えられるようになっている
それはよいことなのだろう
この辺りの違いについても少しずつ目をやっていきたいものである
そんな気持ちにさせてくれる記事であった


(2016年6月30)