6.12.13

1-SHE in Sapporo 「科学と哲学」


第1回サイファイ・カフェSHE札幌は盛会の内に終わりました。お忙しい中、参加いただいた皆様に感謝いたします。次回の予定は未定ですが、可能であれば年内にもう一回開催できればと考えております。ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
(2016年3月6日)


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第1回サイファイ・カフェSHE札幌

案内ポスター
日本サイエンスコミュニケーション協会 イベント紹介
 
日時:2016年3月2日(水)、18:30~20:30

テーマ: 「科学にとっての哲学、哲学にとっての科学」

場所:札幌カフェ (2F会場)

札幌市北区北8条西5丁目2-3

 一般:1,000円   学生:無料 
(飲み物代は別になります)  

終了後、参加者の懇親を兼ねた会を予定しています。 
参加希望の方は、she.yakura@gmail.comまでお知らせ下さい。

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  この世界を理解するために、人類は古くから神話、宗教、日常の常識などを用いてきました。しかし、それとは一線を画す方法として科学を編み出しました。サイファイ・カフェSHEでは、現在進行形の科学の成果だけではなく、長い歴史の中で人類が何を考え、何を行って来たのか、そしてその背後にどのような哲学があったのかという点に焦点を合わせ、考察します。

  この会では体系的なメニューを「勉強」するのではなく、講師の私的なプリズムを通して観た世界から拡がるイメージを各自が取り込み、そこで呼び起こされる記憶から思索を展開し、参加された方々との交換を通して思索がさらに深まることを願っています。そして、このような営みを繰り返す中で、最終的に人間という存在の理解に繋がり、われわれ自身が深化、変容することができれば素晴らしいと考えています。

  第1回は、この会のこれからの議論の基礎となる科学と哲学との関係を取り上げます。科学を生み出した哲学は20世紀に入り科学の世界から排除され、現在では多くの科学者が哲学には目もくれなくなっているようです。しかし、科学の中にはいくつもの哲学的なテーマが含まれているように見えます。寧ろ、自然をよ り豊かに理解するためには、哲学からの視点が重要になるようにさえ見えます。講師がこれらの問題に入るための背景について40分ほど話した後、参加の皆様にそれぞれの立場から考えを展開していただき、懇親会においても継続する予定です。興味をお持ちの方の参加をお待ちしています。 

(2015年12月20日) 

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会の纏め

  今回は札幌での初めての会になるため、ブログでの告知だけでどれだけの方が参加されるのか不安があった。しかし、東京の会にも参加されたことのある四方氏が独自のネットワークで案内を回覧していただいたこともあり、最終的には13名の申し込みがあった。残念ながら3名の欠席はあったが、神戸からの参加者も あり、主宰者としては想像を上回る参加者を得、実り多い会になったと考えている。

 今回取り上げたテーマは、科学と哲学を基に考えて行こうとするSHEの基本になる科学と哲学の関係について概説し、両者のあるべき関係にまで話が進むことを願った。

  本題に入る前に、わたしの経験から最近意識できたわれわれの精神の三つの状態について紹介した。それは、最上層に日常生活での意識があり、そこから隔絶した形でそれぞれの仕事にある時の意識がある。科学もこの場合の仕事の範疇に入り、多くの場合は日常と隔絶されている。ここまでは殆どの人が経験する領域だろう。そこからさらに深層に入ると、特定の仕事から離れた「人間として」の意識、「生のすべてを支える」ような思索が行われる領域があり、それは哲学であったり、宗教であったりするのかもしれない。しかし、この領域と仕事の層との間には広く深い溝があり、必ずしも多くの人がこの領域を確保しているとは限らないのではないだろうか。そして、この層の存在を意識し、開拓することにより、われわれの生はより豊かなものに変容するのではないか、という考えを提示した。ただ、若い方の見方では、普段から第二層と第三層との間を自在に行き来しているとのことなので、わたしの分析はごくごく一般的なものに過ぎず、個人や人生の段階の違いに依って大きく異なってくる可能性があり、さらに細かな分析が必要になると思われる。

  本題では、以下のようなことが話題になった。わたしが哲学の領域に入ってまず感じたことは、この問題は見る側により全く異なる像が結ぶということである。以前に身を置いていた科学の側から見ると、哲学はほとんど視野に入らない。科学が実証主義を自らの正式な方法論として取り上げた20世紀前半以来、その傾向は強まることはあれ、弱まることはあり得なかった。そのため、現代においては哲学を蔑視する科学者が稀ではない。

  しかし、哲学の側からこの問題を見ると、科学との乖離はあり得ないどころか、哲学にとって科学は必要不可欠なものになっている。そこにはこれまでの膨大な蓄積があるが、残念ながら科学の側はその事実を知らない。より正確には、興味を示さないと言った方が良いだろう。両者の関係は、片思いの関係とも言えるだろう。

 今回主張したことは、科学の中には哲学的なテーマが溢れており、実験室から生まれる成果に留まるのではなく、そこから広がるより大きな問題について思索することが自然をより深く、より豊かに理解するためには必須になるのではないかということであった。

 オーギュスト・コント(1798-1857) は人間精神の発展に関する三段階説を主張した。この説では、最初は神学的段階、形而上学的段階にある人間精神はこれらを乗り越えて実証的・科学的段階という最高の段階に至るとするものである。しかし、この説に触れた時、自然を十全に理解するためになぜ最初の二段階を捨て去るのか、寧ろそれらすべてを動員して自然の理解に向かうべきではないかという感想が浮かんだのである。それを「科学の形而上学化」(metaphysicalization of science)という言葉で表現し、これから求められるのはこのような姿勢ではないかという考えを提示した。

  ただ、このような主張は生物学に身を置いていた者の個人的な観察に基づくものでしかないとも言えるだろう。今回参加された科学者の中には物理学を専攻されている方もおられ、研究成果の中により多くの哲学的要素を発見され、それについて議論されていることが分かった。また、物理学においては、最初に原理を 持ってくる演繹的なやり方が稀ではないようで、生物学との違いを感じることができた。このことは、科学と哲学の関係を論じる場合、科学の分野により異なる 視点が必要になることを示唆しており、これからの新たな方向性が見える機会となった。

 もう一つ、哲学は科学に直接役立つべきなのか、あるいは科学に直接役立たない哲学は意味がないのかという問題が提起された。この論点は、例えば、物理学者のスティーヴン・ホーキング博士やスティーヴン・ワインバーグ博士などから明確に提示されている。現代物理学に何ら寄与しない哲学は無駄であり、死んでいるという主張である。哲学の側もこの点について鈍感ではおられず、その中に籠っているという印象のある"philosophy of science"「科学の哲学」から"philosophy for science"「科学のための哲学」への転換を求める声も上がっている。具体的な形で相互に関係し合うことは、これからますます必要になると思われるので、このような動きがあることは歓迎すべきではないかと考えている。その中から実質的に科学に貢献する哲学が生まれるとすれば、大きな意味があるだろう。


参加者からのコメント

本日はお疲れ様でした。「科学にとっての哲学、哲学にとっての科学」というテーマでも、人それぞれの立場によってかなり異なる事がよく判りました。自身の中で『こと』を完結するだけでなく、広く他の意見に耳を傾けるのも大変重要だと実感いたしました。ただ、免疫学やアレルギー学を研究する中には、他の科学以上に哲学的思考を強く感じるのも確かで、この感覚はしばらく研ぎすまして行こうと思います。

今日はどうもご苦労様でした。楽しく一緒に考えることができました。次の機会をまた楽しみにしています。 

昨日は多様な方々の楽しい会でした。どうもありがとうございました。先生からパワーを頂戴しました。インフルエンザの流行が去りつつあるとはいえ、寒い日が続きそうですのでご自愛ください。  

昨日は、直に貴君の話を聞くことができ改めて「目から鱗」というか「我が身を考えること」しばしでした。昔は同じような境遇だったのに、随分とお互い違う世界の住人になってしまいましたネ(貴君への憧れを込めてです)。仏教の「解脱」に近い心境なのでしょうか? また是非お目にかかりたく思います。

先日は、ありがとうございました。おつかれさまです。またよろしくお願いします。 

お早うございます。ISHEサイトで先日の会の纏めを拝読致しました。矢倉先生はまさに、philosophy for scienceとして、科学と哲学の橋渡しをされている科学哲学者であると改めて実感致しました。今後ともよろしくお願い致します。




フォトギャラリー



以下は、参加者から届いた写真です

長谷川公範氏撮影


四方周輔氏撮影




(2016年3月6日)