本日は、1980年代から出てきた心的過程をニューラルネットワークとして捉える「コネクショニズム」(connectionism)から見ていきたい
これは、認知を単純なユニット間の結合パターンの動的変化と捉えるもので、それまで優勢だった認知主義(cognitivism)が心を脳の中に閉じ込めたのに対し、認知過程と環境との関係にまで広げるダイナミックな見方である
すなわち、言語や論理をもたない存在にも認知を認めるもので、生物界に広く存在することになるだけではなく、生態系にもつながる可能性を持っている
わたしが免疫論で展開した議論は、コネクショニズムと親和性が高いとも言えそうである
ただ、この考え方でも「説明のギャップ」は埋まらないままである
Caminante, no hay camino,se hace camino al andar.
旅人よ、道などない
歩くことで道は作られるのだ
Wanderer, the road is your footsteps, nothing else;
you lay down a path in walking.
世界は最初から意味づけられているのではなく、行為によって意味のある世界が生じる
それが認知の本質だという主張である
「エナクティブ・アプローチ」という言葉は、ヴァレラ、トンプソン、ロッシュの1991年の著作 The Embodied Mind(『身体化された心』)の中で紹介されたものである
この言葉は、いくつかの考えを統合する狙いがある
第1は、生物は自律性があり、自らの認知領域を積極的に生成する
第2は、神経系はダイナミックな自律的システムで、計算理論のように情報を処理するのではなく、意味を生成する
第3は、認知とは、状況の中に置かれ、身体化された行動において発揮され、知覚と行動が繰り返す感覚運動パターンから立ち現れてくる。それは、内因的でダイナミックな神経活動パターンの形成を「修飾」させはするが、「決定」するものではない。
第4は、認知的存在の世界は、その脳によって内部的に表象される、事前に指定された外部の領域ではなく、その存在の自律的な行為と環境とのカプリングによってもたらされる関係性の領域である
第5は、経験は心に理解にとって中心的なもので、現象学的に注意深く研究する必要がある
本書のモチベーションは、エナクティブ・アプローチが自我や主観性を説明することにより、説明のギャップを埋めることができるのかというところにある
そのためには、生物学、神経科学、心理学、哲学、現象学などに知を統合しなければならないだろう
今日から、本書を貫く現象学のテーマを概観する第2章「現象学的結びつき」に入る
現象学が重要になる理由として、以下の2つを挙げている
第1に、人間の心を理解しようとすれば、意識や主観性を問題にしなければならないが、現象学は生の経験を記述、分析、解釈することに根ざしていること
第2に、エナクティブ・アプローチでは、心の解析に生きたオーガニズムや身体が重要になるが、フッサール(1859-1938)やメルロー=ポンティ(1908-1961)の流れをくむ現象学は、生きた身体の哲学であること
これらの理由から、現象学が主観性や意識の研究を導き、成果の意義について哲学的フレームワークを提供する可能性があるとしている
本章の目的は2つある
第1は、フッサール現象学の中心概念、特に現象学的還元(経験の研究方法)と志向性について紹介すること
第2は、現象学の3つの相――静的(static)、遺伝的(genetic)、生成的現象学(generative)――を概観すること
(1)静的現象学とは、意識の構造を対象と対象に対する志向性を、時間的な生成過程を考慮に入れずに解析する
(2)遺伝的現象学は、志向性と対象との関係が時間経過とともにどのように現れるのかを解析する
例えば、ある経験が後にどのように動機づけするのかという視点から解析する
経験は「沈殿」する構造を持つが、その研究には生身の身体と時間意識が重要になる
(3)生成的現象学においては、経験の文化的、歴史的、間主観的成り立ちが重要になる
今日から、本書を貫く現象学のテーマを概観する第2章「現象学的結びつき」に入る
現象学が重要になる理由として、以下の2つを挙げている
第1に、人間の心を理解しようとすれば、意識や主観性を問題にしなければならないが、現象学は生の経験を記述、分析、解釈することに根ざしていること
第2に、エナクティブ・アプローチでは、心の解析に生きたオーガニズムや身体が重要になるが、フッサール(1859-1938)やメルロー=ポンティ(1908-1961)の流れをくむ現象学は、生きた身体の哲学であること
これらの理由から、現象学が主観性や意識の研究を導き、成果の意義について哲学的フレームワークを提供する可能性があるとしている
本章の目的は2つある
第1は、フッサール現象学の中心概念、特に現象学的還元(経験の研究方法)と志向性について紹介すること
第2は、現象学の3つの相――静的(static)、遺伝的(genetic)、生成的現象学(generative)――を概観すること
(1)静的現象学とは、意識の構造を対象と対象に対する志向性を、時間的な生成過程を考慮に入れずに解析する
(2)遺伝的現象学は、志向性と対象との関係が時間経過とともにどのように現れるのかを解析する
例えば、ある経験が後にどのように動機づけするのかという視点から解析する
経験は「沈殿」する構造を持つが、その研究には生身の身体と時間意識が重要になる
(3)生成的現象学においては、経験の文化的、歴史的、間主観的成り立ちが重要になる
これは何かをしようとする時に目的を持つというような意味合いではない
もちろん、それも志向性の一部ではあるのだが、、
「志向性」とは、それ自身を超えて指し示すという意識特有の現象に対する言葉である
語源的には、「弓を弾く」あるいは「標的を狙う」という意味のラテン語 intendere に由来する
狭義には、対象に向かうものとしての志向性を指すが、広義には、世界に開かれていること、あるいは他者であること=他者性(alterity)を意味する
いずれの場合も、意識が自己に閉じていることを否定している
「対象に向かう」における対象とは、元々は我々の前にあるものという意味である
自身を超えたところにあるものを意識することが、狭義の志向性で、対象となるものは身の回りにあるものでも、過去の出来事でも、未来のことでも、あるいは存在しないものについてでもよい
日常に感じる感情や感覚、気分のようなものは対象に向かう志向性とはなりえない
ただ、その感情や気分が世界に開かれている場合には――例えば共感など――広義の志向性に入るものがある
現象学において、志向的経験は心的行為(mental acts)と記述される
その行為は内省など内的に閉じているものではない
また、主体と対象とが分れているのではなく、関係性の中にある
志向性は、相関関係にある(correlational)――主体の行為と対象とを一体として捉えられる――と言われる
フッサール(1859-1938)の現象学では、対象に当たるものをノエマ(noema)、対象に向かう心的行為をノエシス(noesis)と呼ぶ
ここで、現象学が言う志向性と、心の哲学が言う「心的表象」(mental representation)の関係を見ておきたい
心的表象とは、意味の性質(内容、真理の条件など)を伴う心的構造(概念、思想、映像など)のことで、通常、認知の対象ではなく、それによって認知したり、世界における何かを認識するものを指す
両者の違いは以下の点でも見られる
現象学における志向性の経験は、内容を持った状態ではなく、方向性を持つ行為であること
現象学における re-presentation は、今は存在していないものを心的に呼び覚ますという心的行為に限られること
このように、現象学においては、感覚による受容を示す presentation と re-presentation は明確に区別される
