プロジェクト 2016-2017



今年から研究所のミッションに合わせて、いくつかのプロジェクトを始めることに致しました。(2016年1月10日)


1) 科学と哲学の普及と語り合い
   
   (a) 「医学のあゆみ」エッセイ、およびSHEとPAWLの活動を軸に進める
◉ 「パリから見えるこの世界」、「これまでのSHE・PAWL」を参照
   (b) 「サイファイ・フォーラムFPSS」の立ち上げ
科学者を中心にして科学を哲学する場を確立し、科学の側から科学を文化にする一助とする。「科学の形而上学化」の実践の一つになる。
   (c) フランス語を読み、哲学する「ベルクソン・カフェ」の立ち上げ
フランス語で書かれた文章を読みながら、哲学を学び、哲学するカフェを開店する。フランス語を読むことにより得られる霊感を大切にしながら、われわれの哲学を豊かにする場とする。

2) 科学の哲学的研究

   (a) 「科学の形而上学化」の理論化
以下のエッセイでスケッチされたこの概念についての考察を深め、一つの纏まりとすることを目指す。この過程は科学を文化にする上で必須になると考えているので、その理論化は実践の基礎になるはずである。
◉ 矢倉英隆: パリから見えるこの世界 « Un regard de Paris sur ce monde » (13) 21 世紀の科学,あるいは新しい「知のエティック」. 医学のあゆみ (2013.2.9) 244 (6): 572-576, 2013
◉ 矢倉英隆: パリから見えるこの世界 « Un regard de Paris sur ce monde » (32) 国境の町リールで、「科学の形而上学化」について再考する. 医学のあゆみ (2014.9.13) 250 (11): 1063-1068, 2014
◉ 矢倉英隆: パリから見えるこの世界 « Un regard de Paris sur ce monde » (48) オーギュスト・コントの人類教、あるいは「科学の形而上学化」の精神. 医学のあゆみ (2016.9.10) 258(11): 1085-1089, 2016
◉ 矢倉英隆: パリから見えるこの世界 « Un regard de Paris sur ce monde » (52) 文化としての科学、あるいは「科学の形而上学化」の実践. 医学のあゆみ (2017.1.14) 260 (2): 187-191, 2017
   (b) 「免疫」という概念の形而上学的解析
テーズにおいて展開された思索をさらに具体化すると同時に、さらに深化させ、できるだけ包括的な概念へと高めることを目指す。   

3) 「生き方としての哲学」の研究

   (a) 「生き方としての哲学」の系譜の研究
「生き方としての哲学」を語るカフェフィロPAWL活動とともに行う
   (b) ピエール・アドーPierre Hadot, 1922-2010)の著作の研究
ピエール・アドー氏は、哲学が持つ「生き方としての哲学」の側面を現代に蘇らせた古代哲学の専門家で、わたしが哲学に入ることを促す言葉を残していた方でもある。
◉  矢倉英隆: パリから見えるこの世界 « Un regard de Paris sur ce monde » (43) ピエール・アドー、あるいは「哲学への改宗」. 医学のあゆみ (2016.4.9) 257 (2): 193-197, 2016 
◉  「ピエール・アドーを読む」を参照。 
   (c) 生命倫理の大枠を捉え直す
生命倫理を現在行われているように見える事務処理的なやり方ではなく、生命を取り巻く問題についての哲学という視点から捉え直す。それは必然的に人間の生き方を問うことになるはずである。
◉ 「生命倫理メモ」を参照。

4) フランス文化の紹介

   (a) 翻訳
(i) Le Jeu du hasard et de la complexité (Odile Jacob, 2014) 
コレージュ・ド・フランス名誉教授でパスツール研究所元所長フィリップ・クリルスキーPhilippe Kourilsky)博士の免疫に関する最新作 『偶然性と複雑性のゲーム』(仮題)の翻訳を試みる。2016年夏までの終了を目指す。
(ii) La nouvelle microbiologie (Odile Jacob, 2016)
パスツール研究所教授パスカル・コサールPascale Cossart)博士の最新刊『新しい微生物学』(仮題)の翻訳を2017年夏を目途に試みる。
◉  「翻訳ブログ」を参照。

   (b) 文化講演会
これは長いスパンでの計画になるが、フランスの科学者を交えた一般向けの会のような機会の設定に関わることを模索する。科学を文化にする上で必須になる哲学的視点を入れた思索を刺激するような空間が広がることを願ってのことである。