ピエール・アドーを読む



lundi 6 mars 2017

当面の間、Exercices spirituels et philosophie antique を中心に読んでいくことにした。先日、この中にある« La philosophie comme manière de vivre »「生き方としての哲学」に目を通した。この言葉は、わたしが哲学に入ることになるキーワードでもある。今年から始めることにしたベルクソン・カフェのテクストとしてはどうかというアイディアが浮かぶ。初めてのことなので、二日でどれだけ読めるのか見当がつかないが、手始めにはよいのではないだろうか。何事も実験である。



lundi 14 novembre 2016

今月初め、ピエール・アドーを研究しているという日本の若手研究者から連絡が入った。日本に専門家はいないのではないかと思っていたので、驚くとともに遠くの朋を見つけたような気持ちになる。わたし自身はこれからいろいろな作品を読んでみたいと思っていたところなので、専門家の目から見たいろいろな課題を提起していただければ幸いである。また、最近思い付いた仏語から始める哲学カフェにも興味をお持ちのようなので、少し前向きにならなければと考えているが、もう少し様子を見ることにしたい。



dimanche 23 octobre 2016~

手元にある本の中から、Exercices spirituels et philosophie antique を読みながらメモを取っていきたい。まず、最後に出てくる「倫理とは何か?」というインタビューを取り上げてみたい。

Qu'est-ce que l'éthique ? Entretien avec Pierre Hadot (p. 377-394)

Q: あなたは『古代哲学とは何か』、『エピクテトスのマニュエル(人生談義)』を出し、モンテーニュキェルケゴールソローフーコーウィトゲンシュタインについても書いていますが、その広い興味は倫理のレベルにおけるものなのか?「倫理」のどのような意味においてなのか?

PH: 「倫理」という言葉を聞くと、それが行動、人間、物の善悪に関する評価が関与するので、複雑な気持ちになります。挙げられた哲学者に対する興味はおそらく真に倫理的なものではないでしょう。寧ろ、実存主義的な興味であると言いたい。例えば、ウィトゲンシュタインでわたしが興味を持ったのは、1959年に読んだ時の心理的状態を基にすれば、それは第一に神秘主義的なところで、神秘主義的実証主義でした。それは殆ど用語の矛盾でしたが、、。彼はなぜ神秘主義を語ったのか?『論考』の最後はわたしにとって驚くべきものでした。満更間違っていないと思うわたしの解釈によれば、それは「沈黙の知」でした。アンスコム女史 (Gertrude Elizabeth Margaret Anscombe, 1919-2001)の本で読んだことだが、それは彼にとって最も重要なことは世界を前にして驚嘆することであるというフォルミュールでもありました。そのすべては必ずしも「倫理的」であるとは言えない。

一般的に、わたしは道徳を説くというタイプではなく、「倫理」という言葉が余りにも厳格に過ぎることを心配しています。結局のところ、スピノザは形而上学の本に『エチカ』という題を付けました。したがって、「倫理」という言葉を非常に広く捉えるべきでしょう。

Q: あなたが言うところの「倫理」にあなたはしばしば「完璧主義」という言葉を充てています。現代哲学ではやや忘れられている道徳哲学の一型です。それはプラトンに源流を持ち、古代哲学の全体に見られる「最善のわたしの探究」、「自己の改良」という考えになるでしょう。現代の哲学者で言えば、例えばエマーソンニーチェにも見ることができます。あなたは完璧主義を「精神鍛錬(exercise spirituel)」とも関連付けていますが、その歴史的期間を超えて定義できるでしょうか?端的に、この倫理は現代においても妥当性はあるでしょうか?

PH: はい。一方で、完璧主義という概念は倫理の一形態と考えられ、他方、正確には倫理的でないすべての概念を巻き込む有利な点があります。結局、それは便利なフォルミュールで、プラトンに遡る伝統にも対応しています。『ティマイオス』の最後で、プラトンはわれわれの最も優れた部分について語り、全の調和と一致させるべきであるとしています。わたしがエピクテトスに注釈を加えていた時、最善の方向に行くとか最善に向かうという概念が何度も出てくることに驚きましたが、それはエピクテトスサモサタのルキアノスの時代の犬儒派の哲学の概念と実質的に対応してしていました。犬儒派の人とはデモナックスのことで、2世紀の有名な風刺作家ルキアノスは「デモナックスは最善に向かった」、すなわち彼は哲学に改宗したということを言っています。これは最良の部分は全と、世界と調和するというプラトンの『ティマイオス』の最後の考えとよく対応しています。

それはわれわれを倫理とその定義の問題に引き戻します。あなたが完璧主義と名付けた視点から見れば、それは自己の最高レベルの探究だと言えるだろう。単純に道徳の問題だけではない。古代においては、(ストア派で顕著だが、すべての哲学について言える)哲学の三つの部分、論理学、物理学(自然学)、倫理学がある。実際には、理論的論理学、理論的物理学、理論的倫理学があり、さらに生きた論理学、生きた物理学、生きた倫理学がある。 生きた論理学とは、間違った判断により日常生活の中に自失させないこと。






dimanche 6 mars 2016

現在手元にあるアドーさん関連の本は以下のようになる

アドーさんによる本


アドーさんに関する本